底意地の悪さに本人は気が付かない

女性の悪意と芯の強さを表した作品
明るく華やかで無邪気な明子、けれどその無邪気さの中には、他の女性と比べて自分が幸せで恵まれていて、誰よりも美しいという優越感があります。

その底意地の悪さに本人は気が付かない。

一方、ねじれた家庭に育ち、その後も運が悪く、本当は美しい顔立ちなのに表情が暗くなってしまった清子。

ずっと淡々と生きてきたのに、昔の同級生だった明子が突然幸せいっぱいの姿で現れる。

しかも彼女を”助けてさしあげよう”として。

そのくったくのない無神経さに清子の中の何かがプツンと切れてしまう。

1人の男を奪い合う二人は、結局その男を愛したのではなくて、相手を苦しめ、引きずりおろしたかった、それだけのために憎みあったのだと思います。

けれど最後には二人ともその愚かしさに気が付いて、嫉妬、ねたみ、そねみ、憎しみ、他人の思惑、そんなものから自由になることができます。

間に立った男は、ハンサムでお金持ちで優しくて絵に描いたようないい男だけれど、結局は二人の間で右往左往するだけで、自分の母親にもさからえない優柔不断な男だった。

まだまだ封建的で女性の立場が弱く、一方的に我慢を強いられた時代。

そんな中で二人が境遇に押しつぶされたり負けたりせずに、最後には物事の本質を見通してまっすぐに生きるようになります。

女性のこわさ、悪意、強さがよく描けた作品だと思います。

作者はその活躍や作風からキワモノのように思われがちですが、なかなか物事の本質をついた作品を書いていると思います。

一見おふざけのようなエッセイでも、作者のまっすぐで誠実な所がチラチラとほの見えます。

ポルノとして読むのもありだと思いますが(この作品は違いますが)それだけですませてしまうのにはもったいない作家だと思います。

大正という時代。


いままで、もし自分が現世に生きていなければ、絶対に大正時代に生まれたいと思っていました。

漠然と、キラキラした華やかなものを思い浮かべていましたが、そんなにいいものではないですね。

一夫多妻制のような生活は、私には無理です。

常に主人公・明子と清子のどちらかだったらと想定して読み進めましたが、結局どちらにもなりたいと思えませんでしたし、どちらの方が良かったのかも分かりませんでした。

途中は「勝った」「負けた」と、競うような展開でしたが、最後は二人ともそれぞれの幸せを手に入れた終わり方で、希望がもてました。

岩井志麻子さんの作品と言うことで、かなり気を入れて読み始めましたが、これは万人に受け入れられる、さわやかな作品です。

女のラベル
はじめ、この本を手に取ったときは「岩井志麻子」ホラーを期待して。

私の思っていたホラー作品ではなかったけれど、いい意味で期待を裏切られて良かったなあという読後感でした。

(でも男の人が読むとホラーかも)世間が勝手に自分につけてしまうラベル、世間だけでなく個々の人が自分に勝手に付けるラベル、自分自身で付ける(付けたい)ラベルは幸福にも一致する人と一致しない人がいる。

この世間のラベルをはずして自分のラベルだけを堂々と付けられるようになるのって難しいかな?自由恋愛 (中公文庫)岩井志麻子

リップグロス
タグ:岩井志麻子
posted by nana at 19:48 | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

多くの名演と言われる録音の中でも、イチ押し

手元に1枚必携のCDです!
1970年に46歳の若さで他界した(一説によるとアルコールの飲み過ぎによる心臓発作とも言われています)伝説になりつつあるフランスの天才ピアニスト、サンソン・フランソワが最も得意としたラヴェルのピアノ協奏曲集です。

特に「左手のためのピアノ協奏曲」が素晴らしい演奏です。

多くの名演と言われる録音の中でも、イチ押しと言って良いでしょう。


フランソワ、ピアノと戯れる

解釈するという言葉より「演奏する(or 遊ぶ)」という言葉を好んだフランソワらしい演奏。

まさに、この瞬間に曲が生まれているかのような新鮮さに溢れています。

特にト長調の協奏曲は天性のリズム感が冴えわたり、彼の思いのまま自由自在に指が鍵盤を駆け巡る妙技に惚れ惚れします。

左手の協奏曲も素晴らしい!感情を表に出すのを嫌ったラヴェルの心の叫びが、フランソワの指を通じて激しく噴出しているかのような錯覚にとらわれます。


録音を気にしない人向き

曲が良くないと思った方へ。

曲が良くないのではなく、録音が良くないのです。

1959年の録音で、ステレオと書いてあるけれど、音像が中央に集まっていてモノラルかと思いました。

独奏ピアノとオーケストラの音量の比も7:3くらいで、オーケストラが非常に貧弱な音です。

フランソワのピアノ演奏は流麗で素晴らしいので、録音の音質を気にしない方、同曲の2枚目、3枚目のCDをお探しの方にお勧めします。
ラヴェル:ピアノ協奏曲
フランソワ(サンソン)
チーク
posted by nana at 17:17 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SFっぽい設定ではあるが、とても読みやすい小説

SFと呼べないかもしれないが
文學界新人賞受賞作。

芥川賞の候補作でもある。

出版される作品としては早川書房から出た『Self-Reference ENGINE』、『Boy's Surface』に続く3作目。

『Self-Reference ENGINE』は読んだが、すごく面白いSFだったので、この作品もそのつもりで読んだら、ちょっと感じが違った。

オブ・ザ・ベースボールはSFっぽい設定ではあるが、とても読みやすい小説。

もう1作、収録されているのは、『つぎの著者につづく』という作品だけど、こちらはとても一段落が長く(2ページ近くになるのもある)、また引用も多くて、難解。

でも、こっちの方が好きかな。

ライ麦畑でつかまえてを読んでいないとわけがわからないはず
それはどうなんでしょうか?文章も明らかに日本語の使い方を誤っている部分が多々あるし・・・設定は面白いんですけどね。

いったいどんな間違いがあったのか、是非にも知りたい
先ずはじめに言っておくと、星1つという評価は間違いである。

最低でも星4つ、おそらくは星5つが適当な評価であろう。

敢えて間違った星の与え方をしたのは、根本的な問題として、この作品が何かの間違いだとしか思われないからだ。

まったく。

何ゆえこの作品が一般文芸誌において新人賞を受賞し、あまつさえ芥川賞の候補になってしまったのか。

理解に苦しむ。

どこか早い段階でSFマガジン編集部へこっそり原稿を置き捨ててくるという、ただそれだけのことが、どうして誰にもできなかったのであろうか。

「世界のなめ方において、群を抜いている」とは、帯に引用されている、島田雅彦氏による選評の言葉である。

これほど的確な評価は先ずないだろう。

しかし、だからこそ、そういう作品が文学の主流において一定程度の評価を受けるというのは、どう考えても間違いである。

(もっともこれは本作の評価としての場合であり、円城塔氏その人が世界をなめきった人間かというと、Boy’s Surface 所収の Your Heads Only を読むかぎり、実はかなり切実な問題意識を持っているんじゃないかとも思う。

まあ、現代日本においてクイア・スタディーズがどれだけ切実な問題として取り上げられるかは、期待の程もないのだが)文學界新人賞受賞作、あるいは芥川賞受賞作としてこの書を手に取る大多数の人々にとっては、まあ、紛れもなく星1つの作品だろう。

かく言う自分も、常識的なねじを締めた状態では、同様の評価を下す。

ただ、頭のねじを緩めることに快感を覚えてしまうどうしようもない人々、具体的には同著者の既刊を楽しんで読んだ方々については、何の疑念も躊躇もなく「みんな大好きEJT!」としてオススメできる。

オブ・ザ・ベースボール円城塔

マスカラ
タグ:円城塔
posted by nana at 16:47 | 注目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミュージカルとして純粋に楽しめる名作品

ブロードウェイキャストです
ジャケットがロンドン版だったので、高いのに無理して買ってしまいました・・・
中味はブロードウェイキャスト版と全く同じですのでお間違えなく。


そろそろ違うキャストのCDも欲しいところですね。


いつまでもウィキッドの世界に浸れる

今,劇団四季でやってるミュージカル「ウィキッド」のオリジナルです。


最後はちょっと悲しいんですけど,音楽的にとても楽しめるミュージカルです。


うねるように強弱するコーラス,
能天気な「良い魔女」グリンダの明るいソプラノ,
孤高の「悪い魔女」エルファバが力強く歌うソロや
2人のデュエットもすばらしい。


特に好きなのは,1幕の最後に出てくるエルファバのDefying Gravityです。


魔法の書を手に戦いを決意するエルファバと,オズの世界に残るグリンダとの
運命の別れ道となる場面の歌です。


ミュージカルでは,エルファバが
I'm flying high defying gravity(重力をものともせず,私は高く飛び立つ)
と歌いながら,だんだん上にせりあがっていきますが,
聞くたびに,あの鳥肌ものの場面を思い出します。


もともと,海外でウィキッドを見るための予習用として買いましたが,
主に復習というか余韻に浸るために愛用してます。


劇団四季ももちろん好きだけど,
もともと英語の原詞に合わせて作曲しているわけなので,
リズムや流れがしっくりしており,
やっぱりオリジナルにはオリジナルにしかないよさがあると思います。


ウィキッドの音楽が好きな方にはお勧めだと思います。


豪華なブロードウェイミュージカル

劇団四季が上演することでも話題になっているウィキッド。

豪華絢爛のファンタジックな世界観は、比較的誰でも楽しめる、ある意味ミュージカルらしいミュージカルです。

音楽的に、いわゆる名曲と呼ばれるような曲は第一幕に集中しているように思われます。

どこか不吉な予感をもたらすような「 No One Mourns the Wicked 」から始まる一幕は、しかし多くの明るいナンバーで構成されています。

エルファバが希望に満ちて歌う「Wizard and I 」グリンダ役のチェノウェスとエルファバ役のメンゼルの、それぞれに個性ある歌声が元気に響く「What Is This Feeling? 」実にミュージカルらしいダンスナンバーの「Dancing Through Life 」など…。

しかし、その合間にも「Something Bad 」などの不穏なナンバーが入ります。

そして、一幕をみごとに閉めるのが、エルファバとグリンダそれぞれの友情と決意に満ちた「Defying Gravity 」です。

二幕はどちらかというと少し重たいストーリーが重視されており、それほど華やかなナンバーはありません。

しかし、終わりに程近くなって歌われる「For Good」には胸を揺さぶられます。

作品全体に関して言えば、ミュージカルとして純粋に楽しめる名作品、ではあるのですが、ご鑑賞の前にぜひ「オズの魔法使い」をご一読ください(笑)読んでいるのといないのとでは、作品の持つ意味がまったく変わってきてしまいますので…。
Wicked: A New Musical [Original Broadway Cast Recording]
Stephen Schwartz

アイブロー
posted by nana at 15:57 | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

緻密な流れはすばらしかった

最新作『ピストルズ』への序章
阿部和重は表題作「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞した。

出版当時、私は、主人公がロリコンであるという設定(意図的なものであるはずだが)にあまり興味がわかず、阿部のファンだから購入はしていたものの、ずっと「積ん読」にしてあった。

しかし、どこだったかに、この作品が阿部の最新長編『ピストルズ』のプロローグ的な役割を果たしているというようなことが書かれてあり、あわてて読み始めたのだった。

さて、この作品が芥川賞に値する作品かどうか、また阿部の最高傑作かどうかということは措いておいて、作品自体は決して他のレビュアーの方々が苦言を呈されているほど悪い作品ではないように私には思えた。

特に構成がしっかり練られており、後半の「フィナーレ的なもの」に向かう緻密な流れはすばらしかった。

また、結末はオープンエンドというか、なんともあいまいな終わり方をしているが、そういう手法を選んだことを私は「あり」だと思った。

蛇足だが、本書に収められている短篇「馬小屋の乙女」の英訳が数年前にアメリカで出版されているある雑誌に載ったことがある。

そのバックナンバーはもう品切れで手に入らないだろうが、私はその英訳版も非常に気に入っている。

吉本ばなななどを多く英訳しているMichael Emmerichという人が訳しているのだが、このクセの強い作品を饒舌な英語の文語体でうまく翻訳しており見事だと思った。

興味のある向きはどこかでご一読を。

受け入れがたい“性癖”‥そして浄化
冒頭からいきなりピンクのウサギと青い子グマが登場する。

『レモン風味のドロップみたいな味がする雨粒』など、表現は可愛らしいが、悉く・恰も・纏る・齎す‥などの難漢字を多様する文章。

そして主人公の“性癖”のおぞましさと気味悪さ。

あきらめずに読み進めていくと再生していく希望の光が見えてくる。

受け入れがたい“性癖”に焦点を当てながら、しっかりと彼を非難してくれるIという女性を登場させた点が救い。

作者は新人の時から小説を発表するたびに何かの賞を受賞しているがこの作品でMDMA(合成麻薬)をディティールとして持ってくるのはどうか?作者が服用していないことを望みます。

そしてあの“性癖”でないことも!芥川賞のありかた
芥川賞は作品におくられ直木賞は作家におくられるとか、芥川賞は可能性や才能におくられ直木賞は実績におくられるとか俗説は多くあるが、なぜ阿部和重の「グランドフィナーレ」が芥川賞だったのかと思う。

芥川賞は短編もしくは中篇小説におくられ、直木賞はどんなジャンルの小説をも対象になると区分した黒井千次さんの見解が一番正しいことをこの小説が証明した。

余談はさておき、本小説の評価であるが、ラストのあり方には大いに疑問をもつ。

もっと書いていただきたかった。

あとは読者の解釈に任せるにはあまりにも横着過ぎやしないか。

前半から中盤までのディティールの詰め方がうまいだけに残念に感じる。

それが阿部氏の特徴なのかもしれないが、私は物足りなさを感じる。

書ける能力がある作家だけに何故と思ってしまう。

グランド・フィナーレ阿部和重
タグ:阿部和重
posted by nana at 00:32 | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新しく作品の振幅が広がった気がする一冊

かなり難解
著者の作品の長編の中でもかなり難解な一冊。

大きく3つの章で構成されており、第1章はどこともしれない湖のある村の神話的ないかにもいしいしんじさんらしい「ものがたり」。

水と共に生活している村人たちと、水に選ばれ眠る人と、水を語る人、不思議と確立された世界の中で事件が起こり、村人たちは村から離れていく。

第2章は現在の日本に生きるタクシー運転手を中心にストーリーが展開される。

月に1回浮き上がってくる青い水を放出し続ける。

第3章はアメリカ、キューバと日本の松本市をザッピングするように、水で繋がった世界を映像的に浮かびあがらせる。

出勤、退勤時の電車で小刻みに読み継いでいったが大失敗。

著者の他の作品と比べて、「水に浸る、浮かぶ」ような気持ちで漂わないとストーリーを追うことで精一杯になってしまう。

自宅で一気に最後まで読み続けるような環境を整えた方がよかったかもしれない。

水が繋いだ3つのストーリーを「感じる」ことができずに、もやもやとした気持ちを抱えてなんとなく「怖さ」を感じた作品でした。

幻想的だアーイエー
「みずうみ」をテーマにした三章節からなる物語。

一番幻想的な第一章は、水とともに生きる村人達を描いた作品だ。

文章の終わりにかけごえがつく冒険的な文体だエオー。

村で生まれた赤ん坊は、手足が動くようになるとみずうみへ落とされる。

すいすいと泳ぎはじめた子は村に残される。

沈んでしまった子は成人する頃になったら、村から出て行かなければならない。

そして、泳ぐでもなく沈むでもなく、水と溶け合うように眠りながら浮かんでいる子は、眠り小屋へとはこばれて、そのまま眠り続ける人になるのだ。

そして時が来て、眠れる人達に変化が起こることをまるで子守唄のように描きあげている。

第二章は、眠れる人のつながりであるタクシー運転手の話である。

月に一度、コポリ、コポリと体中からわきあがってくる水を放出しなければ日常生活を送れない。

第三章もそうだ。

眠れる人の末裔がここにも息づいている。

アメリカやキューバと松本でのそれぞれの物語が展開されていく。

松本のカラス城であったり、知っているところがでてくるとそれだけで嬉しい。

全体を通してのキーワードは、「コポリ、コポリ」「帳」「ジューイ」。

形にならない物へのオマージュ
第1章は定期的に溢れる水を湛える、幻想的なみずうみを中心とした、いしいしんじワールド。

白いこびとカバのようなやわらかな生き物ジューイ、記憶や風景や思いなど、様々な物を溢れる水に乗せて伝え拡げてゆく、湖畔のハンモックの中の深く眠れる語り部。

記憶の水先案内なのか、鯉守の家とそれを受け継ぐことになった少年。

目に見えないものや、流動的に一定の形を成さない記憶や思い、それらを象徴し司ってゆく事柄が描かれる。

第2章ではそれは現実に近いタクシー運転手の姿や日常を借りて、過去未来に緩やかに隅々まで巡っている帯のような時間の地下水脈を伝って、裏町の売春宿で溢れ出す。

僅かに揺れる薄地の帳が仕切っている沢山の思いも描かれる。

第3章に描かれるのは作家自身とその妻や友人達を想起させる人々。

作家やその周りの人々が現実に行動したり動いたりした場所、時間、起こった象徴的な出来事・それらの記憶、形にならない思い、その意識の中を様々な感情や記録を孕んでコポリコポリと溢れ出る水、出現するみずうみ。

第1章で現れていた様々な事柄や人々(或いはそれが託されていた役割)が一方向に収斂して思いを形作ってゆく。

それらの根底に意識されるのは、目に見えなかったり、形になっていなかったとしても、確実に存在していた事柄・物・人・現象、それに対する記憶、思いの肯定であり、畏敬の意識であり、オマージュだと思う。

今までの彼の作品世界をベースに、モチーフを現実世界にもリンクさせ、大きな共感と共に、新しく作品の振幅が広がった気がする一冊。

みずうみいしいしんじ

アイライナー
posted by nana at 20:46 | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当に地獄の風景みたいだ

幻想・幻覚・妄想交響曲ミュンシュの熱い演奏
演奏が自分との相性がイマイチ流し聴き程度の曲の一つでした。
しかし「ミュンシュ率いる」「この時のパリ管」は違います。


ベルリオーズの気性の激しさ危なさ直球ストレートで縦横無尽に伝わってくる演奏。
久々の鳥肌もので、恥ずかしながら涙が出ました
(特に一楽章のラスト盛り上がり私はココが第一ポイントで大好き)
日に隙を見つけては何度も聴いてしまいました。


こんなこと「ムラヴィンスキー/アルプス交響曲」以来です

なんというグラマラスさゴージャスさグロテスクさ!!
恋をする美しさ、失恋に苦悶、絶望しドロドロした醜さが
鮮やかに浮かんできます。
1楽章のラストへ向かう弦、管、打楽器総動員部分
”熱気に浮かさ渦巻く情念、狂おしい情熱!!”
常軌を逸してます=幻想交響曲=ベルリオーズ

2楽章舞踏会で夢を見るような美しい三拍子
3楽章野の風景静寂でも常に不安に満ちて・・

4、5楽章
ここの演奏でCD賛否が分かれるんでしょうね
かなりイッテますから。
4楽章断頭台への行進ザックリ切るような弦楽器に
気が狂うようなティンパニとトランペットファンファーレ
5楽章グロテスクで不気味嘲笑魑魅魍魎!

それにしてもミュンシュ/パリ管凄いです(ブラームス1番もですが)
「やったるで!!」とパリッ子パリ管の意地を感じました

ブラ1と幻想、ミュンシュ様につきます!!

批判、大いにあると思いますがそこは好みということでお許しを・・・
異様な熱気溢れる名演
ミュンシュはこの曲を得意としているせいか、全編に異様な熱気が充満している。

しかもテンポも速めで、緊張感や生命力もすばらしい。

ミュンシュの最晩年の録音だが、まるで青春真っ盛りの時期にミュンシュが若返ってしまったような演奏。
第二楽章の華やいだ雰囲気も生きていてし、第四楽章のティンパニの迫力も凄い。

第五楽章に出て来る、最後の審判を知らせる鐘の音が、明るくてなんだか怖い。

本当に地獄の風景みたいだ。
どの楽章でも、各場面が目に見えるような演奏。

この作品を理解するなら、この演奏に勝るものはないと思う。

録音年代は60年代だが、音質もまあまあ。


幻想交響曲と言えばまずこの盤でしょう
万人が、幻想交響曲といえばこういう演奏だろうという夢想のようなものが、この盤で具現化されている。
パリ管、ミュンシュ、、、、、、こうだろうという演奏が展開される。
やや脱線するが、かつてフランスチームのサッカーは「シャンパンのようだ」と形容されていた。

この演奏も、どこかシャンパンのような華やいだ感じと、シャンパンファイトのような激しさが入り混じっている。
特に終章は期待通りだ。
ベルリオーズ:幻想交響曲
ミュンシュ(シャルル)

ロクシタンは香りが優しくて大好きです
匂いもすごく好きな香りでかなりしっとりしますまた購入したいです。
posted by nana at 19:36 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原典通りの演奏がまどろっこしく感じるほどに音楽の流れがよい

古典的名演
ヤッシャ・ハイフェッツは、音楽之友社の『新音楽辞典 (人名)』によれば「その名が〈ヴァイオリン的完璧性〉の同義語とさえなった20世紀最大の巨匠の一人」である。


その彼の名刺代わりとなるのが、このメンデルスゾーンのホ短調のヴァイオリン協奏曲と、チャイコフスキーのニ長調のヴァイオリン協奏曲のカップリングCDであろう。


チャイコフスキーの協奏曲のほうは、師匠のアウアーが施した慣例的カットを施しており、原典通りに弾くことの多くなった昨今では、形式面での古さは否めない。


しかし、この演奏は、原典通りの演奏がまどろっこしく感じるほどに音楽の流れがよい。


同僚のエルマンのような泥臭さの強調もなく、シャープな弾き口でありながら、往年のフーベルマンのような硬さもない。

感情過多に陥ることのないセンスのよさが、演奏の格好の良さにに繋がっている。


ロシアの作曲家としてのチャイコフスキーのキャラクターをグローバル化したという点だけでも、ハイフェッツの業績は素晴らしいと思う。


チャイコフスキーの協奏曲におけるハイフェッツの演奏の切れ味の鋭さは、フリッツ・ライナーの、贅肉をそぎ落としたスマートな伴奏によって、よりいっそうの鋭さを獲得している。


第一楽章のクライマックスでも感情におぼれることなく、緻密にオーケストラを鳴らしていく冷静な視点は、ハイフェッツの演奏のクールさと親和性が高い。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ハイフェッツの演奏のクールな美しさが見事だが、ややミュンシュの伴奏に元気がないのが気になる。


とはいえ、チャイコフスキーの協奏曲におけるライナーのサポートと比べてのことなので、演奏の充実度は高いレベルにある。


ハイフェッツとは、ルーティン・ワークの権化である

ヴァイオリンの王者などともてはやしているが、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲の初演を依頼されたとき、尻尾を巻いて逃げた人である。


音楽的進歩に何の関与もできなかった哀れな人でしかない。


ハイフェッツの奏でる音楽は、どれも保守的で、何の刺激ももたらさない。


チャイコフスキーやメンデルスゾーンなど、もはや死んで何年経つ作曲家なのだろう。


こうした死んだ作曲家を誉めそやし、今日の音楽をないがしろにするような行為は、恥ずべきであろう。


入門盤のチャィコン・メンコン

いわゆる、メンコン・チャイコンの定番曲、指揮者とソリスト、オケのバランスも素晴らしくオケを完全にドライブしています。

、嫌味な演奏でなく心地よく耳に入ります。

ちなみにフィギアスケートに関心があるならお勧めです。

もちろんクラッシク初心者の方にも親しみ易いと思います。


本当に、お買い得です(安い!!)お勧めします。


SAYAKAさんSUWANAIさんのアルバムの聴き比べもよいと思います。
メンデルスゾーン&チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ハイフェッツ(ヤッシャ)

どこのショップでも人気のヘレナルビンスタインのマスカラを初購入。噂通りボルーミィーでぱっちり目元になりました。
posted by nana at 17:54 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奇妙な恐さ

どれも奇妙な恐さがあっておもしろかった
10編の短編が収録された作品で、どれも奇妙な恐さがあっておもしろかった。

個人的には「SEVEN ROOMS」が一番恐くておもしろかった。

突然密室に閉じ込められて、そこからはどうやっても脱出することができない。

唯一の脱出口として部屋に汚い水が流れている溝があり、小さな弟だけが通れるのだが、その溝の先には同じ部屋が7つあって他にも同じ状況の人間がいることが分かりさらに恐怖が増していく。

最後の結末まで目が離せなかった。

短篇の名手
◆「Closet」義弟に自分の過去の罪を知られてしまったミキは、彼の死体を彼の部屋にあるクローゼットに隠すことにする――。

《倒叙ミステリ》かと思わせてじつは……という趣向。

『GOTH』において、遺憾なく発揮された乙一の叙述トリックが、本作でも抜群のキレを見せます。

カンのいい人は、すぐに真相に気づくかもしれませんが、結末から遡って、犯人の人物像を想像していくと、また違った感慨が浮かびます。

◆「ZOO」男の元に毎日送られてくる恋人の腐乱死体の写真。

彼女を殺し、写真を送ってくるのは誰なのか?日々「犯人探し」に明け暮れる男は、やがて衝撃の事実を知ることに……!作中において、惰性や拘束を象徴する「ZOO(=動物園)」というモチーフと、男の切迫感や閉塞感の対置が絶妙。

悪くはない。


レビュータイトルの通り、悪くはないんだけど・・・。

残念ながら珠玉の短編集ではなく玉石混合という感が拭えない。

「落ちる飛行機の中で・・・」や「陽だまりの詩」のなどの素晴らしい作品がある一方、「で、だから何?手垢にまみれたネタを手垢にまみれた調理法で料理しているだけじゃん」と首を捻りたくなる話も少なからずあった。

よって★三つ。

ただ作者の引き出しの多さには驚かされる。

乙一さんの作品には他にも完成度が高い作品が数多くあるので、これからも見守っていきたい。

ZOO乙一

コーセー エスプリークは、肌も自然に綺麗に見える気がします。
タグ:乙一 読書
posted by nana at 16:40 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クラシックを聴いて泣いた

満足しております
クラシック音楽に関しては素人の私ですが、思い切って買って良かったです。


聞いていて気分が落ち着いたり、高揚したりする曲で溢れています。
今までクラシックを敷居の高い音楽だと感じていて敬遠していたのですが、
このCD購入を機にもっと色々聞いてみようと思います。


第2弾を待ってます
色んなレーベルから『ベスト100』がリリースされてますが、個人的にEMIさんの選曲が好きで
『ベスト・バロック100』と『ベスト・スピリチュアル100』も持ってます。


バッハはまだかなーと待ってたらやっと出たので、すぐ買いました。
第1楽章だけ、第4楽章だけといった中途半端な編成はなく、一曲を通して聴けるのでお薦めです。


例えば協奏曲は「急?緩?急」の3部構成が殆どなので、第2楽章だけ聴いても魅力が半減してしまうからです。


初めてバッハに触れた方は『ミサ曲ロ短調』だけでも全曲版で聴いて頂きたいです。


べスト100からベスト1を選ぶという愚の骨頂を敢えてするなら『2つのヴァイオリンのための協奏曲第2楽章』でしょうか…
音楽評論家の山本一太氏が「もしこの曲を聴いて心理的感情的反応を何も起こさないのであれば、
あなたは音楽が与えてくれる慰めなど全く必要とせずに人生を送ることができる人かもしれない」と仰っていて、然もありなん。
私のクラシック歴は20年以上です。

その間モーツァルトやベートーベンに傾倒したこともあります。


しかし、結局還るのはバッハなのです。

クラシックを聴いて泣いた(2曲あるのですが、
内一曲は、前述の『2つのヴァイオリンのための協奏曲第2楽章』)のもバッハだけ。


それでも全曲聴いたわけではなく、まだまだ知らない名曲が沢山あるのだと思います。


100曲も、ではなく100曲しかないって感じです。

是非『ベスト・バッハ1002』を作って欲しいです。


おすすめです!
クラシックは好きですが、詳しい方ではありません。


クラシック集のCDの中で「いい曲だな?」と思うのがバッハの曲ばかりだったので今回購入してみましたが、もともとバッハが好きだったからでしょうか、聴いていて落ち着きます。


6枚組というのには正直勇気が要りましたが、毎回違うディスクを選べる感じで手軽に聴けています。


曲もCMなどでよく聞く曲が多い気がします。


お値段の割には曲数も豊富で、入門編にはもってこいかも。
ベスト・バッハ100
オムニバス(クラシック)
posted by nana at 14:39 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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