はたを織る鶴のように

深すぎる!
まえがきを除いて、1ページ読んだときには完全に引き込まれました。
これは冗談でも、誇大表現でもありません。全くの事実です。
主人公の言葉をうまく伝えられないという、いきなり示された哀しみに
しみじみとしたものを感じました。
内容は短編集みたいなものだったのですが、
一話一話に深い味わいがあります。
主人公の心理描写はしっかりとしていましたし、
周囲の人物たちの哀しみやもどかしさなども、読んでいて共感できました。
著者の力量が、認められます。

今でも
もう大学生になる私ですが、小さい頃から吃音に悩まされてきました。私の妹も吃音でした。言いたいけど言葉が出ない。私はカ行に弱いのでカッパという時はッパと言っていました。今でも吃音はなかなか消えてくれません。本文中に書かれている表現が、あたしと重なって、自然と涙が出ました。なんていうか、あたしの心をそのまま写し出すような本です。出会えてよかった。

はたを織る鶴のように
重松作品には泣かされる。
くるぞとわかっていても、あっさり泣かされる。
パターンだとの声もあるが、手にとりたい人はとるだろう。
ぐっとくる瞬間、こみあげる瞬間、作中人物に共振する瞬間を求めて
本を手にとる人は多い。そしてこの作家は大抵裏切らない。

これは吃音の少年の成長過程を追う作品群。
どれもさすがにリアルだ。
後半、タ行が、カ行がと、繰り返される表現に飽きても、
クライマックスにくると涙がこらえられなくなる。

蛇足だが、重松の、読み手の涙腺を刺激したり
励ましたりする手法は職人の域に達している。
しかし泣ける作品を量産する重松自身は摩滅しないのか。
自らの羽根ではたを織る鶴のように。
ふと心配になる。
きよしこ
重松 清

セリーヌ バッグ
posted by nana at 12:14 | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。