日常生活に潜むプチ・ホラー

無残な…
なんと無残で侘しい、ゴミのような人生。何か好転はあるのかと歯を食いしばって読んだが、最後まで読めなかった。
たいていの本はどんなにつまらなくても礼儀上100ページまではつきあうのだが、これはダメだった。

文学を楽しく味わえる一冊
最初に読後の感想を述べると「おもしろい」、実におもしろかった。
著者が一貫して書き続ける、所在無き人の漂流記がここにきて完成を見た、といっても言い過ぎではなくらいにおもしろい。
台詞のひとつひとつや滑稽な行動、どれをとっても洗練された現代的文学作品であり、魅力的だ。
自分の部屋(必ずアパート)を飛び出して、路地で寝泊りしたり、人の家に転がり込んだりする彼女の作品を、勝手にわたしは「ダンボールハウス文学」と呼んでいる。
その呼び方は、ピースがピタリと当てはまる場所が1箇所しかないパズルと同じように、自分のあるべき場所を求めてさすらう主人公の有様に敬愛を込めているつもりなのだが。
主人公だけでなくわたしたちも、そんな場所はないのかもしれないとどこかで思いつつ、探し続ける一人の漂流者かもしれない。
そして、それを忙しさに任せて、一時でも忘れるように努力し、考えるのを故意に避けているのか。彼女の作品に共感が持てるのは、そこにあると思える。

日常生活に潜むプチ・ホラー
高校時代の同級生で「はじめて一緒に眠ったあかの他人」の吉本が、木造アパート・菊葉荘にぞっこん惚れ込む。住人を追い出し吉本を引っ越しさせるため、ニセ学生になりすました「わたし」は5号室に住む二流私大生の蓼科に近づく。胡散臭くていかがわしい住人たち。祭壇とともに暮らす1号室のP、姿の見えない2号室の住人、「ふじこちゃん」に恋する3号室の小松、女の出入りがたえない4号室の中年男、フリルまみれの服を着た6号室の四十女。吉本と「わたし」の関係だって奇妙だし、蓼科をとりまく学生たちもどこかズレている。そもそも「わたし」の言動にしてからが歪であやしげ。「だれがいて、だれがいないのかまったくわからない。…区分けされた小さな空間で、それぞれの奇妙な生活をくりかえしているのかもしれない。わたしたちが自分の部屋に追い出されて、こうして影みたいにうろついているように。」──セックスを性交と即物的に表現する「わたし」の希薄なリアリティ感覚が、しだいに日常生活に潜むプチ・ホラーをあぶりだしていく。不思議な味わいのある作品。

菊葉荘の幽霊たち
角田 光代

ランコム
タグ:角田 光代
posted by nana at 01:10 | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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