新しく作品の振幅が広がった気がする一冊

かなり難解
著者の作品の長編の中でもかなり難解な一冊。

大きく3つの章で構成されており、第1章はどこともしれない湖のある村の神話的ないかにもいしいしんじさんらしい「ものがたり」。

水と共に生活している村人たちと、水に選ばれ眠る人と、水を語る人、不思議と確立された世界の中で事件が起こり、村人たちは村から離れていく。

第2章は現在の日本に生きるタクシー運転手を中心にストーリーが展開される。

月に1回浮き上がってくる青い水を放出し続ける。

第3章はアメリカ、キューバと日本の松本市をザッピングするように、水で繋がった世界を映像的に浮かびあがらせる。

出勤、退勤時の電車で小刻みに読み継いでいったが大失敗。

著者の他の作品と比べて、「水に浸る、浮かぶ」ような気持ちで漂わないとストーリーを追うことで精一杯になってしまう。

自宅で一気に最後まで読み続けるような環境を整えた方がよかったかもしれない。

水が繋いだ3つのストーリーを「感じる」ことができずに、もやもやとした気持ちを抱えてなんとなく「怖さ」を感じた作品でした。

幻想的だアーイエー
「みずうみ」をテーマにした三章節からなる物語。

一番幻想的な第一章は、水とともに生きる村人達を描いた作品だ。

文章の終わりにかけごえがつく冒険的な文体だエオー。

村で生まれた赤ん坊は、手足が動くようになるとみずうみへ落とされる。

すいすいと泳ぎはじめた子は村に残される。

沈んでしまった子は成人する頃になったら、村から出て行かなければならない。

そして、泳ぐでもなく沈むでもなく、水と溶け合うように眠りながら浮かんでいる子は、眠り小屋へとはこばれて、そのまま眠り続ける人になるのだ。

そして時が来て、眠れる人達に変化が起こることをまるで子守唄のように描きあげている。

第二章は、眠れる人のつながりであるタクシー運転手の話である。

月に一度、コポリ、コポリと体中からわきあがってくる水を放出しなければ日常生活を送れない。

第三章もそうだ。

眠れる人の末裔がここにも息づいている。

アメリカやキューバと松本でのそれぞれの物語が展開されていく。

松本のカラス城であったり、知っているところがでてくるとそれだけで嬉しい。

全体を通してのキーワードは、「コポリ、コポリ」「帳」「ジューイ」。

形にならない物へのオマージュ
第1章は定期的に溢れる水を湛える、幻想的なみずうみを中心とした、いしいしんじワールド。

白いこびとカバのようなやわらかな生き物ジューイ、記憶や風景や思いなど、様々な物を溢れる水に乗せて伝え拡げてゆく、湖畔のハンモックの中の深く眠れる語り部。

記憶の水先案内なのか、鯉守の家とそれを受け継ぐことになった少年。

目に見えないものや、流動的に一定の形を成さない記憶や思い、それらを象徴し司ってゆく事柄が描かれる。

第2章ではそれは現実に近いタクシー運転手の姿や日常を借りて、過去未来に緩やかに隅々まで巡っている帯のような時間の地下水脈を伝って、裏町の売春宿で溢れ出す。

僅かに揺れる薄地の帳が仕切っている沢山の思いも描かれる。

第3章に描かれるのは作家自身とその妻や友人達を想起させる人々。

作家やその周りの人々が現実に行動したり動いたりした場所、時間、起こった象徴的な出来事・それらの記憶、形にならない思い、その意識の中を様々な感情や記録を孕んでコポリコポリと溢れ出る水、出現するみずうみ。

第1章で現れていた様々な事柄や人々(或いはそれが託されていた役割)が一方向に収斂して思いを形作ってゆく。

それらの根底に意識されるのは、目に見えなかったり、形になっていなかったとしても、確実に存在していた事柄・物・人・現象、それに対する記憶、思いの肯定であり、畏敬の意識であり、オマージュだと思う。

今までの彼の作品世界をベースに、モチーフを現実世界にもリンクさせ、大きな共感と共に、新しく作品の振幅が広がった気がする一冊。

みずうみいしいしんじ

アイライナー


posted by nana at 20:46 | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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